令和7年度 滋賀教区第3ブロック 僧侶・坊守・寺族研修会が開催されました

2025年8月23日(土)、滋賀県の「ハーティーセンター秦荘 中ホール」にて、令和7年度 滋賀教区第3ブロック 僧侶・坊守・寺族研修会が開催されました。
本年は愛知上組が担当となり、80名を超える多くのご住職様、坊守様、寺族の皆様にご参加いただきました。
ご講師とご講義テーマのご紹介
ご講師には、本願寺史料研究所 上級研究員・岡村喜史先生をお迎えしました。
今回の研修会のテーマは「親鸞聖人の生き方に学ぶ 〜乱世の時代に生きられて〜」です。
本山から今年提示された主題は「戦後80年にあたっての平和を願う」というものでした。これに即し、岡村先生は、親鸞聖人が生きられた乱世の時代背景を丁寧に紐解きながら、どのようにしてお念仏の教えが開かれていったのかを、わかりやすくお話しくださいました。

ご講義の内容
◆ 激動の時代と親鸞聖人の誕生
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、日本の社会は公家中心の時代から武士中心の時代へと大きく移り変わりました。
この時代には約350年ぶりに死刑が執行されるなど、仏教の「殺生禁断」の思想が崩れ始め、社会全体が不安定な様相を呈していました。
そのような時代に、1173年、親鸞聖人がご誕生。そして、鎌倉幕府が開かれた翌年、1181年に出家得度されました。
◆ 比叡山での修行と転機
親鸞聖人は、比叡山の西塔にある常行堂を拠点に厳しい修行に励まれました。これは「恵信尼消息」にも記されています。
しかし、「自分は悟りを開くに値しない存在だ」という強い挫折を経験された親鸞聖人は、比叡山を下り、京都の六角堂に百日参籠。
その後、法然聖人を訪ねられ、専修念仏の道へと進まれたのです。
◆ 関東への移住とお念仏の布教
1207年、法然聖人らと共に親鸞聖人も承元の法難により流罪となり、越後国(現在の新潟県)へ赴かれます。
赦免後もしばらく越後に留まり、その後、関東へと移り住まれました。
親鸞聖人は、阿弥陀如来のお念仏によって、苦しむ民衆と共に救われる道を探求し続けました。
質疑応答も充実した時間に
講義後には、参加された皆様から様々な質問が寄せられました。
どの質問にも、岡村先生は一つ一つ丁寧に、わかりやすくお応えくださいました。
参加者の皆様からは「とても理解が深まった」と好評でした。
おわりに
岡村先生は最後に、
「親鸞聖人は、自身こそ救われるべき存在であると実感され、お念仏によって民衆とともに救われる道を求めていかれたのです。」
と語られました。そのお言葉が、深く心に残る研修会となりました。
ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
そして、貴重なお話をいただいた岡村先生に、心より感謝申し上げます。

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